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寿屋_おおそうじ

ことぶきやが家や会社や掃除中に思ったことを書き留めるところ

やさしさの半分はあきらめでできています

雑記

そしてもう半分は「自分にもやさしくしてくれ」という願望からできています。
よく「やさしい人間」といわれる自分ですが、それは厳しい態度を取る術を知らないだけなのではないかと思います。

誰にでもやさしい人というのは
その人がどうなっても関係ないと思ってるから
厳しい事を言わないだけ。
ある意味いちばん冷たい人物であるともいえる。
(出典不詳)


たとえば人が集まってゲームなんかをやっている時「まった」が掛かるときがあるんですね。そういう時に自分はたいてい「次は間違えないでね」として先に進める方を選んでしまう。これはトラブル状態を早く抜け出したいという気持ちから発される言葉でなわけです。表面上はやさしい態度に見えますが、心の中では早く済ませたいという自分の望みだけで発せられている言葉なのかもしれません。

ただ、エゴイスティックな話ですが、これがこと自分の子供の事となると全然違ってきて、毅然とダメなものはダメと厳しい態度になってくるのです。自分自身が「その場限りの優しさで過ぎ去ってゆく」事を繰り返すことで、なんとなく主体のないふわふわした人間になっているという自戒があるのでしょう、子供にはそうなって欲しくないという気持ちが表れているのだと思います。

人に厳しくするということは自分を厳しく律するというところに繋がってくるのでしょうか。自分を律することのできる人間になりたいものです。

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