川田宏行氏による「ワルキューレの冒険 時の鍵伝説」開発秘話
1986年8月1日、ファミコン『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』発売。祝30周年!でございます。 ナゾあり、説明ナシw のアクションロールプレイングゲーム、自分も大好きでした。 URL
FC『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』30周年ですし、当時の入社2年目社員の目に映ったその頃の開発の現場などを思い起こしてみます。
当時ナムコの開発部隊が居を構えていた大森のとあるビル。そこの8FでFC『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』の開発は始まりました。その後85年には矢口の本社ビルへ移転することになるのですが。
ちょうど開発組織にテコ入れが入り、それまでのタテ割り型からプロジェクト制へと移行していた時期でもありました。
レイアウトも一新し、プロジェクト単位。プロジェクトのパーテーションの中に入ると、隣の席にはプログラマー、振り返るとミーティングテーブルを挟んで企画担当者、みたいな感じ。
出社すればアポを取って招集などせずとも、振り返れば即ミーティングテーブルで打合せ開始、進捗具合も自然にアップデート。雑談あり、情報交換あり、おやつタイムありw
サウンド、プログラム、企画、ビジュアル、それぞれ1〜2人くらいというミニマル体制ということもありましたが、グループワークに理想的なそんな環境のもと進められた開発作業は、自分にとってとても有意義な体験となりました。
例えばミーティングテーブルには「アイデアノート」というB5のノートがポンと置いてあって、各自思いついたアイデアを自由に書き込んでいくなんていう試みもありました。担当業務の垣根なく、専門外の仕様についても気軽に談義できたんですね。
FC『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』のお墓〜昇天というゲームオーバーのシーケンスは、確か自分がその「アイデアノート」に書き込んだモノのひとつです。当時の製品はスタッフのアイデアが様々な形で詰められた結晶でもあったんです。
また製品を開発するだけでなく、アイデア発想の方法についての研究や取り組みも盛んに行われてました。講師を招いてのセミナーもあれば、集中するための部屋、発想ルームとかがあったり。
今にしてみると、そういった環境や取り組みが、アイデアの先鋭性だけでないふくよかさやみたいなものとなり、製品にも表れていたのではないかと思います。
環境を作るということって大切なんだなあ〜、と貴重な実体験により学んだ当時2年目社員だったのでした。
FC版ワルキューレ冒険と言えば、私も遊んだ懐かしのゲーム。そしてこれがAC版ワルキューレの伝説へと繋がり、私のゲーセンライフのきっかけともなっていくのでありました。
そんなゲームの開発秘話がこんなタイミング良く聞けるとは思いもよりませんでした。
また、ミニマムな開発環境によるメリットというものが具体的に聞けたのも、とても貴重でした。
あらためて川田宏行氏に感謝の意を記したいと思います。